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紀里谷 和明紀里谷 和明
PROFILE

紀里谷和明(きりや かずあき)1968年、熊本県生まれ。15歳で単身渡米し、マサチューセッツ州にある全米有数のアートスクールでデザイン、音楽、絵画、写真などを学び、パーソンズ美術大学では建築を専攻した。ニューヨーク在住時の1990年代半ばに写真家として活動を開始。その後、数多くのミュージック・ビデオを制作し、映像クリエイターとして脚光を浴びる一方、CM、広告、雑誌のアートディレクションも手がける。SFアクション『CASSHERN』(2004)で映画監督としてデビュー。アドベンチャー活劇『GOEMON』(2008)を発表。監督第3作『ラスト・ナイツ』(2015)でハリウッドデビューを果たした。

スーツは、その人の事がすぐにわかる怖いもの。

オーダーメイドの服というのは、「クライアントがどういう人なのか?」を見抜く力がつくり手側に必要だと思っています。生地や縫製のクオリティももちろん重要ですが、それ以前の問題です。スーツは、その人の事がすぐにわかる怖いものです。例えばTシャツだとわからないけれど、スーツを見れば、その人が何を欲しがっていて、何を怖がっているのか、何を隠そうとしているのか、全部見てとれますよね。だから、すごく恐ろしい代物です。

 

だからこそ、テーラーとの信頼関係がすごく重要です。本来であれば、クライアント側はテーラーに対し、何も言う必要はない。ところが、最近、そういう人(売り手)が中々いませんよね。スペックや情報を説明することから始まってしまうんです。例えば、「〇〇産のマグロです」などという情報によってクライアントを上手く転がそうとするわけです。一方、クライアント側も悪いですよね。解らないわけですから。そういった状況で物事が進んでいく社会に、僕は違和感を感じます。

自分にとってスーツとは “透明になる装置”。

自分にとってスーツとは
“透明になる装置”。

“スタイル”という言葉は、スタイルがない人たちが使う言葉ですよね。あと、僕は“お洒落”という言葉も大嫌いなんです。「お洒落ですね」と言う人は、大抵みんなお洒落じゃない。僕にとって、スーツというのは「透明になる装置」なんですよ。僕の存在に対して、出来ればスーツを見えなくしてほしい。「良いスーツ着てますね。」という褒め言葉は、僕にとってはアウトなんですよ。重要なのは中に入っている“人”ですから。

 

そして、 「なるべく透明になるように・・・」と追及していると、このプロポーションになっていきます。自然界の黄金比率として、縦と横の比率は1:1.618…と決まっているものですから。自然の中での比率に対し、人間は何も思いませんよね?でも、現代人は「(時計やスーツをさして)これを見て!」と主張するわけです。そういった行為は、僕にとって非常にみっともないし、格好悪い。

 

例えば、京都のお茶屋さんに舞妓さんがいるとします。舞妓さんは確かに良い着物を着ていますが、それよりも、後ろで三味線を弾いているお婆ちゃんのいでたち。その透明になっている様が美しいわけで、着物が美しいわけではないと思うんです。

作り手の想いを、伝えられるか。
作り手の想いを、受け止められるか。

例えば、同じステッチでもフランスのメゾンのおばさんたちがやっているステッチと、無理やり工場でやり方を教わってやるステッチは、きっと違いますよね。料理もそうですが、つくっている人間の想いですよね。なんでもそうだと思うんです。映画や写真に関して言えば、僕は1枚1枚丁寧に作っている。だからあまり量産はできないんですけど・・・。仮に手を抜いて作ったとしても、多少認知度もあるからお客さんは買ってくれるかもしれません。だけど、それは僕が許せない。僕は作り手の想いは伝わると思っている。伝わらない人もたくさんいるけれど、それでもいい。なぜなら、僕は作り手であり、職人だから。お客さんのことも大事だし、自分も大事。そういう意味では、自分がお客の立場である時、作り手がどういう想いで作ったんだという事がわかると、それは歓びとして伝わるのかもしれません。

衝動があれば今すぐ行動する。

衝動があれば今すぐ行動する。
それを繰り返しているから、自分の欲しいものがわかる。

例えば、若いスタッフや後輩たちに「今から酒飲みにいこうか?」と真昼間から誘ったとします。でも、ほとんどの人間は「楽しそうだ」とか「やってみたい」とは言うけれど、結局理由をつけて、行かないんですよ。本来であれば、行くべきなんです。それこそが“努力”だと、僕は言っています。旅行なども同じです。ほとんどの人間は“今”行かないんです。僕は、衝動があれば今すぐにでも行く。僕はそういうことを繰り返しているから、自分が欲しいものはすぐにわかるんです。

 

服にも通じますが、コンプレックスの裏返しが表に出てくるわけです。みんな自分に欠けていると思っているものを身につけている。地味な人は服装が派手になっていくし、年齢を追うごとに化粧が濃くなったり、貧乏だったからという事を服装で補ったり。つまり、それは「嘘」をついているわけですよ。自信がなければ「自信がないです。」と言えばいい。でも、格好つけたい人ほど、自分は格好悪いと思っている。

 

以前、20歳の女の子とデートした時に、「ハリー・ウィンストンとか欲しくないの?」と聞いたんです。すると、彼女は「いらない。だって私輝いてるもん。」と答えたんです。事実、彼女はそんなものを身につけなくても、すごくキラキラしていました。それが全てを物語っている。

“人間としてどうなのか”が最大のテーマ。

最近は、一度自分の職業というものを“無し”にしようとしています。とかくこの世界は職業で人を判断するじゃないですか?たとえば、映画監督とかテーラーとか。しかし、本来そこが重要なのではなくて、そのひと“そのもの”が重要なんですよね。現代の社会において、いわゆる肩書や会社の中での役職等が重要視され、その人が判断されることに違和感を感じています。自分も映画監督や演出家など、色々ありますけど、「そんなのどうでもいいや。」という意識があります。“人間としてどうなのか”が最大のテーマなんです。そのために、自分の衝動に忠実にならないといけない。それをどれだけ本気でやるかによっては相当大変ですよね。ただ、本来であれば“若い”というのは、それこそが特権なんだって思います。

LIFE STYLING by CLOTHO
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今回、こだわりやご自身の好みが明確な紀里谷和明さんには、クロトではなくGINZA TAILOR本店のハンドメイドラインで製作いたしました。物事を追求し、見極める真摯な姿勢は、オーダーする際にも生地選びや仮縫い時のスタイル決めにも反映されていました。紀里谷和明さんのお話を伺い、お客様の人となりを反映するオーダーのご提案が出来るよう精進しなければとクロトスタッフ一同、身が引き締まる思いがいたしました。